新一万円札の顔「渋沢栄一」のお墓|アクセス方法や実業家・渋沢栄一

渋沢栄一墓

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2024年7月3日、40年ぶりに1万円札の肖像が変わりました。その新しい1万円札の顔として選ばれたのが「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一。明治から大正にかけて活躍した実業家で、500以上の会社設立に携わったとされます。
今回は、渋沢栄一が眠る谷中霊園に訪れました。

1万円札の顔に選ばれた渋沢栄一

2024年、20年ぶりに紙幣が刷新されることになりましたが、1万円札の肖像に選ばれたのが、渋沢栄一です。
渋沢栄一の名前を知っていても詳しく知らないという人も多いかもしれません。
どんな人物だったのでしょうか?

渋沢栄一とは

渋沢栄一
出典:イラストAC
渋沢栄一の簡単な経歴をご紹介します。
天保11年(1840年)2月13日、現在の武蔵国榛沢郡血洗島(埼玉県深谷市)で大きな農家の長男として生まれました。
尊王攘夷の思想に目覚めて幕府を倒す計画を企てますが、中止して京都に向かいます。
しかし、志士活動に行き詰まり、一橋慶喜(のちの15代将軍徳川慶喜)に仕えるようになります。
慶喜が15代将軍になると、渋沢は幕臣となります。
パリの万国博覧会に出席する慶喜の異母弟・昭武にくっついて、万博を視察したり、ヨーロッパを訪問します。
各地で先進的な産業や軍備を見て感銘を受けます。
この時に渋沢に語学を教えていたのがシーボルトの長男・アレクサンダーです。
明治維新となり、日本に帰国。
フランスで学んだ株式会社制度を実践して、1869年静岡に商法会所を設立します。
これが新政府の目に留まり、大隈重信から説得され、大蔵省に入省します。
1873年大蔵省を辞めた後は、第一国立銀行(現みずほ銀行)の頭取に就任。
その後、みずほ銀行や東京ガス、王子製紙、東急グループ、帝国ホテル、日本赤十字など500以上の多種多様な会社設立に関わり、同時に約600の社会公共事業や民間外交にも尽力しました。
このような功績から、「日本資本主義の父」と称されています。
昭和6年(1931年)11月11日に92歳で亡くなりました。


出典:イラストAC
このように、多岐にわたって活躍した渋沢栄一が、今回新1万円札の肖像に選ばれたわけですが、実は1963年にも千円札の顔の候補として最終選考まで残ったそうです。
しかし、最終的に選ばれたのは伊藤博文。渋沢栄一が選ばれなかった理由が「ヒゲがないため」だそうです。
というのも、当時の技術ではヒゲがないと偽造されやすかったんだそう。
でも、技術が進歩したことで偽造防止できるようになったため、今回選ばれたのだとか。
福沢諭吉はヒゲがありませんから、福沢諭吉が1万円札の顔に採用された1984年にはすでに偽造防止できるようになっていたんですね。
ちなみに、五千円札は津田梅子、千円札は北里柴三郎です。

渋沢栄一のお墓はどこにある??

渋沢栄一が眠っているのは、東京都台東区谷中7丁目の谷中霊園です。
谷中霊園には寛永寺谷中墓地、天王寺墓地が入り組んでいるのですが、渋沢栄一のお墓は東京都が管理する谷中霊園にあります。

日暮里駅からのアクセス方法

今回は日暮里駅からの行き方をご紹介します。
谷中霊園はブロックごとに番地があり、渋沢栄一のお墓の番地は「乙11号1側」になります。
渋沢栄一墓
①「日暮里駅」南口を出たら、右へ進み、階段を下ります。
日暮里駅
(南口はエレベーター、エスカレーターがないので利用する場合は東口から出てください。
東口のエスカレーターを降りて右に行くと南口にたどり着きます。)

②階段を下りたら、右に進みます。
日暮里駅
しばらく直進してアパホテルや羽二重団子も通りすぎます。
↓羽二重団子
羽二重団子
羽二重団子は正岡子規や夏目漱石も通ったという老舗のお団子屋さんです。時間があったらちょっと立ち寄るのも良いですね♪

③交差点まで来たら、マンションを右に曲がり直進します。
日暮里

④線路にぶつかるので、左の階段を上って線路を渡ります。
日暮里
この跨線橋からは電車が一望できます。
日暮里

⑤跨線橋を渡ると谷中霊園に到着です。
谷中霊園
緩やかな坂を少し上ると「御隠殿坂」という標識があります。
御隠殿坂
跨線橋ができる前は、谷中霊園から踏切を通って御隠殿跡まで続く下り坂になっていたそうです。その頃はもっと急な坂だったようです。
御隠殿とは東叡山寛永寺住職の輪王寺宮法親王の別邸のことです。江戸時代に寛永寺から別邸へ行くためにこの坂が造られたそうです。別邸は跨線橋の階段下あたりにあったようですが、彰義隊の戦いで焼失してしまいました。

⑥坂を上ったら道なりに進んでいきます。すると、右手に渋沢栄一のお墓があります。

広場と大きな木が目印です。

こちらの広場は渋沢家の墓所敷地でしたが、平成27年に墓所の一部が返還され、その後墓所跡地を霊園広場として整備したそうです。
また、大きな木はタブノキという木で、15m以上あるでしょうか?とても立派な木です。
もともとは渋沢家のお墓の近くにあり、根っこがお墓を持ち上げていたそうですが、2014年に移植工事が行われました。クレーンなどは使わずに人力だけで木を立てた状態のまま、水平移動させる「立曳き工法」という方法で行われたそうです。貴重な巨木を約20m移動させるということで大掛かりな工事だったそうです。移植から5年以上経ちましたが、枯れることなくしっかり根付きすくすくと育っています。

広場の向かいには一列にお墓が並んでいます。
渋沢栄一墓
以前は塀で囲まれ、門には鍵がかけてあり、命日にしか一般開放されていなかったそうですが、現在は塀が取り壊され、いつでもお参りできるようになっています。
左から2番目が渋沢栄一のお墓です。
渋沢栄一墓
「青淵」という雅号が刻まれています。

右隣には先妻の渋沢(尾高)千代、左隣には後妻の渋沢(伊藤)兼子の墓があります。

渋沢栄一が若かりしときに仕えていた徳川慶喜のお墓もすぐ近くにあります。渋沢栄一のお墓はちょうど慶喜のお墓の方を向いて立っています。

三つ葉葵

江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜のお墓がある谷中霊園

2019年12月5日

まとめ

いかがでしたか?
新一万円札の顔となる渋沢栄一ですが、2021年放送のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公にも決定し、ますます注目が集まっています。
命日以外でもいつでもお参りができるようになったので、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。