江戸の趣を残す「観音寺の築地塀」谷中散歩♪

観音寺築地塀

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谷中にある観音寺の境内の南面には、江戸時代に造られた土塀「築地塀」があります。
築地塀が続く路地は風情があり、映画やドラマのロケ地としても使われています。
今回は、そんな観音寺築地塀をご紹介します。

寺町・谷中のシンボル「観音寺築地塀」

谷中は寺町として知られていて、多くの寺院が集中しています。
1625年、江戸城の鬼門にあたる上野に寛永寺が建てられ、それに伴ってその子院が谷中に多く建てられます。
寛永寺
また、江戸の町の発展によって江戸城を中心に区画整理が行われ、神田や日本橋あたりから多くの寺院が浅草寺、寛永寺を中心に移転してきました。
さらに、1657年の明暦の大火によって焼失した寺院も移転してきたことで寺院が増加し、寺町化しました。
上野戦争や1772年の明和の大火によって多くの寺院が消失してしまいますが、現在も60もの寺院が点在しています。
寺町が形成されると同時に、参拝客向けに町家が立ち並び、寺町・下町の独特の風情を感じることができます。
そんな谷中のシンボルの1つとして有名なのが、観音寺の築地塀です。

観音寺は慶長16年(1611)に江戸神田北寺町(現在の千代田区神田錦町あたり)建てられたお寺で、区画整理によって1648年谷中清水坂に移転しました。
その後、1680年に再び現在の場所に移転しています。

江戸の面影を感じられます

観音寺築地塀
観音寺築地塀があるのは、町家が点在する谷中のみちから1本入った路地。
少しわかりにくいためか観光客も素通りしていて、この日は人通りはあまりありませんでした。
人がいないと、まるで別世界に来たかのよう。
江戸の面影を感じることができます。

向かいにある養傳寺の霊園・谷中御廟の土塀も趣があります。
谷中御廟

観音寺築地塀について

築地塀(ついじべい)とはいわゆる土塀のことです。
泥を積み上げて作ることから、もともとは築泥(つきひじ)と呼ばれていたとされます。
観音寺の築地塀は幕末の頃に作られたもので、当時は観音寺の境内の東面と南面を囲っていたそうですが、現在残っているのは南面だけです。

大正13年(1923)の関東大震災で一部倒壊しましたが、できるだけ元の資材を使って組み直されました。
その後、補修を重ねて今も江戸時代の姿が残っています。
古くは土のみで作られたそうですが、強度を増すためや雨水から守るため、染み込んだ雨水の水はけを良くするために、瓦と土を交互に積み重ねて作られた延長37.6mの土塀(練り塀)です。
潜り戸が一つ備えてあります。
観音寺築地塀
また、塀の上部には雨除けに瓦屋根が敷かれて、表面は漆喰で仕上げられています。
観音寺築地塀
平成4年には「台東区まちかど賞」を受賞しています。
そして、平成12年には国指定の有形文化財に登録されました。
さらにさらに平成30年には台東区の景観重要建造物にも指定されています。

観音寺築地塀へのアクセス方法

①「日暮里駅」北改札を出たら、左側の西口から外に出ます。
日暮里駅
②左へ進み、御殿坂を上ります。
御殿坂
③谷中商店街の手前の道を左に入ります。
谷中
朝倉彫塑館がある路地を進んでいくと、左手にレトロな佇まいの香隣舎が見えます。
香隣舎
④香隣舎のところで右折すると築地塀が見えます。
観音寺築地塀

所在地:東京都台東区谷中5丁目8−2

まとめ

江戸有数の寺町だった当時の谷中の面影を伝えてくれます。
ぜひ足を運んでみてください。

〈参考文献〉
谷中観音寺HP(最終閲覧日:2019/12/7)http://yanaka-kannonji.jp/