人気観光地の一つ「上野動物園」ではジャイアントパンダやアジアゾウ、ハシビロコウ、トラなどさまざまな動物を見ることができます。
でも、上野動物園の見どころは動物だけじゃないんです。
国の重要文化財に指定された「旧寛永寺五重塔」をはじめ、さまざまな歴史的建築物があります。
上野動物園に行った際は、ぜひ建物もチェックしてみてくださいね♪
上野動物園の歴史的建築物
旧寛永寺五重塔(上野東照宮・五重塔)
1625年(寛永2年)に天海僧正によって東叡山寛永寺が創建されました。
そして、当時工事の総奉行をしていた土井大炊頭利勝がこの地に上野東照宮の一部として五重塔を建てました。
その後1639年に火災で焼失してしまい、同じ年に再建されました。
しかし、その後、明治政府が「神仏分離令」を発令します。
五重塔は仏教施設なので神社が所有する五重塔は全国で壊されました。
上野東照宮の東照宮も対象となりましたが、当時の宮司がなんとしてでも残したいと考え、東叡山寛永寺の管理下にあると申請を出します。
寛永寺から五重塔が少し離れているので管理するのが難しくなり、昭和33年に寛永寺から東京都へ寄付され、現在は上野動物園内にあります。
1911年(明治44年)に国の重要文化財に指定されました。
塔の高さは32m。屋根の上の相輪までいれると、約36mあり、上野動物園の外からも屋根が見えます。
屋根は初層から4層が本瓦葺、最上層は銅瓦葺が使用されています。
江戸時代の多くの五重塔は初層から4層までが和風、最上層が唐様風でしたが、こちらの五重塔はすべて和風様式となっています。
五重塔のまわりには遊歩道が設置されていて、1周できるようになっています。
閑々亭
現在の上野動物園があるエリアには、江戸時代には伊勢津藩主藤堂家、弘前藩主津軽家、越後村上藩主堀家という三大名の屋敷がありました。
1626年(寛永3年)、伊勢国安濃津藩主(三重県津市)の藤堂和泉守高虎がその屋敷内に東照宮を立てます。
その隣には寒松院という寺を建てて、客をもてなすための立派な家を作りました。
翌年には東照宮の移し替えのお祭りの際に、徳川秀忠や家光が東照宮を参拝して、その帰りに寒松院に立ち寄り、もてなしを受けたそうです。
その時に家光が「武士も風流をたしなむほど世の中が閑になったので閑々亭と名づけるがよかろう」と言ったことから、閑々亭の名がつけられたと言われています。
明治元年に彰義隊の戦いによって焼けましたが、1878年(明治11年)5月に寒松院の庭になっていたこの場所に閑々亭だけが復旧され、その後たびたび補修され今に至っているそうです。
家光が散策の際に休息したといわれる「家光の腰掛け石」も残されています。
旧正門
昔、上野動物園として使われていた正門が現在も残されています。
旧正門がある場所は、上野駅を背にしたときに表門の右側にあります。
この旧正門は明治44年に建てられたもので、20世紀初頭の日本型ベルサイユ建築の面影を残しています。
昭和8年頃まで正門として使われていました。
左右には門番の小屋があります。
現在は、臨時門として時々使用されたり、皇族の方が来園する際には開門されたりします。
藤堂家墓所
閑々亭で紹介した三重県津幡の藩主、藤原家の菩提寺である寒松院が別の場所に移転した後も、藤原家の墓所は上野動物園の敷地内に残されています。
動物園慰霊碑の奥にありますが、中に入ることはできません。
この中に藤堂和泉守高虎のお墓もあります。
サル山
1932年(昭和7年)10月に完成した日本で最初のサル山です。
千葉県富津市の高宕山の岩山をモデルに作られました。
完成当初はニホンザルを群れで入手するのが難しかったため、ニホンザル1頭、タイワンザル1頭、カニクイザル、アカゲザル数十頭という4種類をごちゃ混ぜに展示されたそうです。
しかし、体格のいいニホンザルとタイワンザルが圧倒的に優位で、追い詰められたカニクイザルが濠に飛び込み溺れてしまったり、アカゲザルが濠の外に逃げ出してしまったりしたそうです。
翌年、この展示は終了し、ニホンザル17頭を導入し展示されることになりました。
サル山は戦後3度の大改修が行われましたが、姿を変えずに現在も残されています。
〈参考ウェブサイト〉
旧寛永寺五重塔「東京都文化財情報データベース」https://bunkazai.metro.tokyo.lg.jp/jp/search_detail.html?page=1&id=36,2019/10/12
<spae=”font-size: 8pt;”>「上野動物園公式サイト」https://www.tokyo-zoo.net/zoo/ueno/,2019/10/12