上野公園の「王仁博士の碑」を調べてみました!

王仁博士の碑

※当サイトではプロモーションが含まれているページがあります。

今回は上野公園内にある「王仁博士の碑」についてご紹介します。

王仁博士とは?

王仁博士は百済の漢文学・儒学の始祖で、伝承では百済に渡来した中国人であるとされています。
古事記や日本書紀によると、応神天皇の時代に「論語10巻」と「千文字1巻(漢字)」を携えて百済から来日し、朝廷に仕え、皇室の政治顧問として活躍しました。
そして、庶民に至るまで文字、文章、倫理、道徳を広く教えたとされています。
ただ、王仁博士の時代に千文字は成立していなかったという説もあり、実在自体を疑問視する声もあるそうです。

王仁博士の碑

王仁博士の碑
上野公園には王仁博士の偉業を追慕する碑が建っています。
大理石で作られているという正碑と左側には副碑、右側には王仁博士の肖像が彫られた碑があります。
正碑と副碑は、今からおよそ80年ほど前に四宮憲章氏や井上哲次郎氏たちによる王仁博士顕彰会によって建てられたものだそうです。
なぜ上野公園に建てられたのかというと、かつて上野不忍ヶ丘(上野台地とと本郷台地の間)には孔子廟「先聖殿」や儒家私塾の「弘文館」などの儒学に関係する建造物があったのだそうです。
どちらも、のちに湯島に移されましたが、その縁のある地に建てられたそうです。

石碑の文字は細かく、漢文で書かれているため私には解釈することはできませんでしたが、正碑には王仁博士の日本での偉業について、副碑にはその由来が記されているようです。
↓正碑
王仁博士の碑
↓副碑
王仁博士の碑

しかし、碑の場所がわかりにくかったため、王仁博士の顕彰を深め広めるために韓日文化親善協会創立40周年記念事業として行先案内板の設置をソウルの社団法人韓日文化親善協会会長の尹在明氏が河正雄氏に提案します。

そして計画は進められ、2016年10月12日に青銅刻画碑建立と除幕式が行われました。
王仁博士の碑
除幕式には日韓関係者が70人ほど参列したそうです。
正碑と副碑だけだったら、私も通り過ぎていたかもしれませんが、青銅刻画碑があると少し目立ちます。
青銅刻画の下の碑文には以下のように記されています。

王仁博士は、4世紀末大韓民国全羅南道霊岩で誕生されたと伝えられている。
『古事記』『日本書記』などによると、応神天皇の招請により論語と千字文を携え渡来、皇太子の師匠となられ忠信孝悌を教えられたという。博士は孔子と比肩され、日本の飛鳥文化を花咲かせた学者として崇められている。

さらに、王仁博士の碑の手前には案内石柱が建てられました。
王仁博士の碑
また、写真はないですが、碑の前には石造のベンチ2脚も設置されました。

ベンチに座りながら石碑を眺められるね
王仁博士の碑
説明板は青銅刻画碑建立の少し前に建てられたようですが、以下のように記されていました。

博士王仁碑
台東区上野公園一番
「古事記」などによると、王仁博士は古墳時代前半に百済国から渡来し、「論語」・「千字文」を伝えた学者であり、のちに帰化したとされる。また、その子孫は文筆をもって朝廷に仕えたといわれる。
この「博士王仁碑」二基は、王仁博士顕彰会により、昭和十五年(1940)年及び昭和16年(1941)年に建立された。
平成25年3月
台東区教育委員会

 

トーテムポール-上野

上野恩賜公園にあるトーテムポールを調べてみました!

2019年11月24日
〈参考文献〉
河正雄アーカイブ(最終閲覧日:2019/11/29)https://www.ha-jw.com/memorial/wani/
王仁Wikipedia(最終閲覧日:2019/11/29)https://ja.wikipedia.org/wiki/王仁